体験談

【お遍路体験談】わたしが四国へ歩きでお遍路に行った理由とは?

こんにちは、管理人のユキオです。
歩き遍路のことはテレビなどで見て、うすうす知ってはいました。

でもまさか自分が歩き遍路に出るなんて、行く前は考えもしませんでした。

お遍路に行ってみると、お四国が身近に感じるようになるから不思議です。
本当に四国はワンダーランドです。

この記事は私がお遍路に行くに至ったいきさつです。

目次

お遍路に出る理由が見つかる

わたしの想像ですが、同年代でお遍路に行く一番多い理由。
それは、退職して自由な時間が出来たからです。

実際お遍路に出て、同年代の人が多いのに驚きました。
でも考えれば納得できることでした。

 

特に歩いて遍路へ行くとなれば、時間のやりくりの問題があります。
つまりひまなひと(?)ではないと、お遍路にはいくことができません。

これはわたしの場合の例です。
2017年3月に仕事をやめ、やっと自由な時間を手に入れたました。

 

仕事をやめる決意をしたときは、退職の日が本当に待ちどおしかった。
もともと定年の歳(?)は、とうに過ぎていたのでした。

つまりいつ辞めても、良かったわけでした。
だが辞めた後の生活を、
いろいろ考えてしまうと、踏ん切りがつかなかったわけです。

 

そこでダラダラと、先延ばしにして毎日を送っていました。
ところが翌年、待遇がアルバイトに変わり。
思いのほか、収入が少なくなってしまいました。

それならもう辞めて、
好きなことでもして、これからの人生を楽しもう。

そう考えてからの一年、
もう辞めた後を考える毎日。
あれもこれも、やりたいことは山のようにあります。

退職後のことを考えると、楽しくて仕方がありません。
そしてついに、退職の日を迎えました。

退職後は、たしかに楽しい毎日でした。
明日はこれをやろう、あれをやろうと・・・

毎日、まるで子供のように、
いつまでも目が冴えてしまって、寝付けないありさまでした。

 

しかし一通り、
やりたいことも、やってしまうと・・・

あれほど自由な時間を待ち望んできたのに、今度は時間がありすぎてしまいます。
そこで思うように、やりたいこともしなくなってしまいました。

 

まあ考えてみれば、在職中はやり繰りして時間を作っていました。
だから時間と反比例して、楽しかったのだと思います。

退職後は毎日、無為な時間を過ごすようになりました。

 

しかしある時、やりたいことの一つをふいに思い出しました。

それはバイクで、四国にツーリングへ行くということ。
そんな計画を立てていたことを思い出しました。

お遍路とツーリング!

時間は腐るほどあります。
要は、自分が行く気になれるかだけでした。

そこからネットで、色々と検索する毎日がはじまりました。
ところがパソコンにかじりつくと、家の外には出なくなってしまいました。

せっかく目標ができたのに、
そんな自堕落な生活を送る毎日になりました。

また計画倒れになってしまうのでは、そんな心配も多分にありました。

 

それまでも何度となく、計画倒れになったことがあったからです。
自分で言うのもなんですが、わたしは意志薄弱なんです。

適当に理由をつけ、
中途半端で、計画はいつも断念していました。

ところが今回
四国の情報を集めていると、心に響く情報が目に飛び込んできした。
それはお遍路。

いままでにも、よく聞いたり見たりする情報でした。
しかしお遍路の実態など、ほとんど知りません。

お遍路はテレビで見た、ドラマの中の知識くらいでした。
だがその時見たドラマは、かなり共感できるものがありました。

 

お遍路に行ってみようか?
お遍路に行くにはどうすればいいのだろう?

今はネットで検索しさえすれば、いくらでも情報は得られます。
当初はバイクで、四国のツーリングを考えていました。

 

それならいっそ、バイクでお遍路に行ってみるか(?)という思いに至りました。

歩き遍路で四国へ

バイクのお遍路も、それなりに情報はありました。
またお遍路なら、バスツアーもあるようでした。

もう行く気は満々になっていました。
しかし、出した結論は歩き遍路でした。

それはかなり敷居の高い選択肢です。
熟慮の末、歩きでお遍路に行くことを決意しました。

 

そしてお遍路に出る時期は晩秋と決めました。
なぜ晩秋かというのは、ネット情報に踊らされしまったようです。

団体のお遍路さんが少なる季節。
つまり晩秋を選んだというわけでした。

お遍路さんは、ただ札所を参拝するわけではありません。
経典を読誦し納経所にて、墨書朱印を頂いて次の札所へと向かう。

歩いて遍路を繰り返すので、一つの札所に滞在する時間は限られます。
お遍路の最盛期、気候の良い春や秋はお遍路さんで混雑します。

札所はごった返しているのではと、わたしはいらない心配をしたかもしれません。

歩き遍路の体験は想像とは違う

歩き遍路は、
想像していたお遍路とはかけ離れた、修行のような体験でした。

9月の終わり、新宿のバスターミナル。
夜行バスで出発した私は、早朝の徳島駅に降りたちました。

 

この日から、お遍路の旅は始まりました。

歩き始めるとネットの情報通り、
足の肉刺(まめ)に苦しめられことになりました。

毎日宿につくと、肉刺の水抜きという日が続きました。
それでも足の痛みと疲れは、幾日かすれば慣れてしまいます。

 

晩秋とはいえ、まだ暑さの残る四国でした。
アスファルトの道は、照り返しは激しくは熱い。

ほとんど風が通らない山道。
何度も立ち止まって、山頂を見上げてはため息ばかり。

わたしの想像していたお遍路さんとは
まったくかけ離れた修行のような体験でした。

私は一度用事にため帰宅はしましたが、都合四十数日に渡り歩きつづけました。

88番、最後の札所に到達したとき、
疲労困憊し、わたしの体は重くボロボロでした。

しかし心のほうはだいぶ軽くなっていました。

 

途中であったお遍路さんたち
またお接待で受けた、
地元の人の真心は、今でも思い出しても胸が熱くなります。

こんな素敵な体験は、四国を歩いたからこそ得られるものです。
以上が私がお遍路を歩いた体験と感想の一部です。
ささいな体験ですが、お役に立てれば幸いです。

 

多くの人はどんな理由でお遍路に行くのか
こちらに参考になる記事があります一緒にどうぞ。

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